FUKAGAWA 1-8 / A STORY OF THE NEIGHBOURHOOD

深川物語

詩人が旅立ち、映画監督が生まれた、ひとつの番地

この建物の住所は、東京都江東区深川一丁目八番十三号といいます。

そこから四十三メートル離れた深川一丁目八番八号に、小さな説明板が立っています。「小津安二郎誕生の地」。

そして同じ深川一丁目八番のあたりに、もうひとつの跡地があります。松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出発した、採荼庵の跡です。

ひとつの番地から、二つの旅が始まりました。

芭蕉 ── 旅が始まった番地

芭蕉が深川に移り住んだのは、延宝八(一六八〇)年のことでした。日本橋の喧騒を離れ、隅田川の東の、まだ葦の茂る低地に草庵を結びます。

門人のひとりが、芭蕉(バショウ)の株を贈りました。大きな葉を広げるその植物が庵に根づき、やがて庵は「芭蕉庵」と呼ばれ、主人自身の号にもなります。深川に来るまで、芭蕉は芭蕉ではなかったのです。

古池や 蛙飛びこむ 水の音

この句が詠まれたのも、深川でした。

元禄二(一六八九)年、芭蕉は北へ旅立つことを決めます。出発にあたって、住み慣れた芭蕉庵を手放しました。帰るあてのない旅だったのです。

住まいを引き払った芭蕉が、旅立ちまでのしばらくを過ごしたのが採荼庵でした。門人・杉山杉風の庵室です。

杉風は魚問屋の主人であり、蕉門十哲の一人に数えられた俳人でもありました。芭蕉にとっては、句の仲間であると同時に、経済的な支えでもあった人です。深川の魚の富が、日本文学史上もっとも有名な旅を送り出したことになります。

門人たちと別れを惜しんだあと、芭蕉は舟で隅田川をさかのぼり、千住大橋のたもとで陸に上がって、奥州へと歩き出しました。

行く春や 鳥啼き魚の目は泪

採荼庵の正確な位置は、いまも確定していません。杉風の娘婿・隨夢が遺した文書に「元木場平野町北角」とあり、そこから深川一丁目八番のあたりと推定されています。江東区は昭和五十六年、この一帯を登録史跡としました。

いま、海辺橋のたもとには、濡縁に腰かけた旅姿の芭蕉像が置かれています。実際の庵は、そこから百四十メートルほど南西にあったとされています。

橋から清澄橋にかけての仙台堀川の護岸は、「芭蕉俳句の散歩道」になっています。『おくのほそ道』の行程の順に、句が並んでいます。歩けば、旅の順路をそのままたどることになります。

小津 ── 四十三メートル先の生誕地

明治三十六(一九〇三)年十二月十二日、小津安二郎はこの町に生まれました。

生家は「湯浅屋」という屋号の問屋です。天保五(一八三四)年に日本橋から深川へ移ってきた海産物・肥料の商家で、深川亀住町を中心に相当な土地を持っていたと伝えられています。

ここでも、魚です。

安二郎は十歳のとき、一家の郷里である三重県松阪へ移ります。中学を出て代用教員を一年務めたのち、大正十二(一九二三)年に再び上京し、松竹蒲田撮影所に撮影助手として入りました。昭和二(一九二七)年、監督に昇進します。

生涯に五十四本を撮りました。『晩春』『麦秋』『東京物語』。畳に座った人の目の高さにカメラを据える、あの低い視点。家族が集まり、そして離れていく話を、繰り返し撮り続けた人です。

昭和三十七(一九六二)年の『秋刀魚の味』が遺作になりました。

昭和三十八(一九六三)年十二月十二日、小津は六十歳で世を去ります。生まれた日と、同じ日でした。

評価が定まったのは、むしろ亡くなったあとのことでした。二〇一二年、英国映画協会の『Sight & Sound』誌が世界の映画監督三百五十八人に投票を求めたとき、『東京物語』は史上最高の映画の第一位に選ばれます。投票者にはマーティン・スコセッシ、フランシス・フォード・コッポラ、クエンティン・タランティーノの名前がありました。同誌の批評家投票でも、二〇一二年に三位、二〇二二年に四位に入っています。

その人が生まれた場所が、この建物から四十三メートル先にあります。

水と舟の町

芭蕉と小津を結ぶものがあるとすれば、それは水だと思います。

深川は、舟の町でした。

江戸時代、いまの東京湾には広大な干潟が広がっていました。深川浦と呼ばれた一帯は、潮が引けば砂州が現れ、アサリ、ハマグリ、アオヤギがいくらでも獲れたといいます。漁師たちは舟の上で、ネギとアサリを味噌でさっと煮て、汁ごと飯にかけて食べました。これが深川めしの始まりです。

その魚の富が、杉風を通じて芭蕉を支えました。同じ魚の商いから、小津の家が興ります。そして芭蕉は、舟で川をのぼって旅立ちました。

時代が下って明治十一(一八七八)年、三菱の創業者・岩崎弥太郎が深川清住町一帯の約三万坪を買い取り、庭を造ります。全国から集めた名石を三菱汽船の蒸気船で運び、隅田川の水路から直接、庭へ引き入れました。清澄庭園です。池をめぐる回遊式の庭で、水面に飛び石を連ねた「大磯渡り」がその象徴になっています。

石まで舟で来た町でした。

祭りと信仰

門前仲町の方へ十分ほど歩くと、富岡八幡宮があります。寛永四(一六二七)年の創建で、江戸最大の八幡宮とされました。

貞享元(一六八四)年、寺社奉行はこの境内での勧進相撲を許可しています。江戸相撲は、ここから始まりました。境内には明治三十三年に十二代横綱・陣幕久五郎が建てた横綱力士碑があり、いまも新横綱の奉納土俵入りが行われています。

三年に一度の本祭りが「深川八幡祭り」。五十基を超える神輿が連なり、沿道から水を浴びせるので「水掛け祭り」とも呼ばれます。江戸三大祭のひとつです。

すぐ隣が深川不動堂。成田山新勝寺の東京別院で、太鼓とともに護摩が焚かれます。

芭蕉と江戸をめぐる半日コース

玄関を出たら、北か南か。深川はその二方向で、まるで表情が違います。

100m250m500m1km森下駅清澄白河駅門前仲町駅Prime Suites Tokyoここに泊まる1小津安二郎 生誕の地44m / 1分2海辺橋の芭蕉像(採荼庵跡)210m / 3分3清澄庭園394m / 6分深川江戸資料館633m / 10分 寄り道4芭蕉稲荷神社芭蕉庵史跡展望庭園852m / 14分5江東区芭蕉記念館1081m / 18分1深川不動堂430m / 7分2富岡八幡宮627m / 10分1芭蕉の道(北へ) / 祭りと信仰(南へ)200m距離は直線距離、徒歩は概算です。線は順路の目安で実際の道順ではありません。 地図データ © OpenStreetMap contributors
宿を起点にした順路の目安です。距離は直線距離、徒歩は概算です。 横にスワイプできます。

北へ ── 芭蕉の道

場所距離目安
小津安二郎 誕生の地 説明板43m1分
海辺橋の芭蕉像(採荼庵跡)209m3分
芭蕉俳句の散歩道(仙台堀川沿い・清澄橋まで)句碑を追って
清澄庭園394m6分
芭蕉稲荷神社/芭蕉庵史跡展望庭園852m14分
江東区芭蕉記念館1,081m18分
↳ 寄り道:深川江戸資料館633m10分

帰りは森下駅から地下鉄に乗っても、来た道を戻っても。

南へ ── 祭りと信仰

場所距離目安
深川不動堂430m7分
富岡八幡宮627m10分

門前仲町駅まで出れば、そのまま次の街へ向かえます。

朝に北を歩いて昼に戻り、午後に南へ。一日あれば、両方お回りいただけます。

ひとつだけ、寄り道の話を

芭蕉稲荷神社には、こんな逸話が残っています。

大正六(一九一七)年九月、台風の高潮が深川を襲いました。水が引いたあと、常盤一丁目の土のなかから、石でできた小さな蛙が出てきたそうです。「芭蕉が愛でた石の蛙」と伝えられ、大正十年、東京府はこの地を「芭蕉翁古池の跡」と定めました。

古池や 蛙飛びこむ 水の音

二百三十年後に、蛙のほうが出てきたことになります。

施設情報

江東区芭蕉記念館
常盤1-6-3/9:30〜17:00(入館は16:30まで)/一般200円・小中学生50円/第2・第4月曜休館
芭蕉庵史跡展望庭園
9:15〜16:30/入場無料
清澄庭園
東京都指定名勝/9:00〜17:00(入園は16:30まで)/一般150円
深川江戸資料館
白河1-3-28/9:30〜17:00(入館は16:30まで)/一般400円
  • 採荼庵の所在地は史料からの推定であり、確定はしていません。
  • 開館時間・料金は変更されることがあります。おでかけ前に各施設の公式情報をご確認ください(本稿は2026年8月時点のものです)。
  • 徒歩の所要時間は地図上の概算です。

この町の真ん中に、泊まる。

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